子宮内膜症を改善するデイナゲストに期待
【生理痛がひどくて苦痛な日々を送っていたら子宮内膜症になってた】
中学生の頃から生理痛がひどく、私にとって生理とは"苦痛"でしかなかった。
鎮痛剤を飲んでその場をしのぎ、生理が終わる頃には心も体も軽くなり、そしてまた一か月後に魔の生理週間が始まる・・・というのを繰り返していた。
30代前半の頃、あまりにも痛みがひどいので、婦人科へ行き検査をしてもらったが、内膜症ではないと診断された。
そして30代半ばで、仕事中に立ち上がれないほどお腹が痛くなり、早退して病院へ行くと「内膜症」と診断されてしまった。やっぱりそうだったのか・・・と。
そして病院で「ディナゲスト」という薬の服用を勧められ、服用することに。
【ディナゲストとは】
ディナゲストを服用すると生理がこなくなるので、生理痛がなくなり、その他下腹部痛、腰痛、排便通、性交痛などの不快な症状も軽くなる効果があります。
そして、ディナゲストは長期投与が可能な、安全性の高い薬です。
副作用としては、不正出血、ほてりや吐き気や頭痛などの更年期に似た症状が出るそうです。
価格は1か月分で9000円くらい。ディナゲストってめちゃめちゃ高いお薬なんです!!
【ディナゲストの服用後】
私の場合は、最初の頃は不正出血はあったけれど飲み続けていくうちになくなり、そして更年期のような症状は全く出なかった。毎月の生理の煩わしさもなくなり、出掛ける時や泊りの時に気にしなくて済むのがホント楽だった。
ただ、薬が、高い!!私は一度に3か月分もらいに行っていたので毎回27000円支払っていて、毎回内膜症がなければこのお金で服が買えるのに・・・っと思いながら払っていた。
体の痛みはなかったけど、お財布がいたかった!苦笑
【子宮内膜症の次は子宮筋腫そして内膜症再び】
「内膜症は小さくなってきてます。けど、"子宮筋腫"がだんだんと大きくなってきてます」と先生に言われてしまった。
内診の度に、筋腫が時間をかけてどんどんと成長し、手術を勧められる。
手術だけは絶対に避けたい思いで、ネットや本など色々調べ試してみるも、筋腫の成長は止まらず。
ディナゲストを飲んでいても意味もなくなり、筋腫の症状がひどくなる一方で、死にかけ、最終的に手術をすることに。
手術も無事終わったと思いきや、「内膜症があります」っと。
おいおい、内膜症とはオサラバしたハズですけど!まだいたんかーい!と。
手術が終わり、やっと薬を飲む生活から解放されるんだ!と思っていたのに。
先生に「ヤーズフレックス」という薬を勧められ、私の薬を飲む生活は続いていく・・・。
痛みのないカラダとココロは幸せそのもの
今現在はヤーズフレックスのお陰で生理痛とは無縁の快適生活を過ごしている。
生理の痛みや大量の出血が続いてた頃は、痛みに耐え苦しみ、イライラする、漏れたら嫌だから外出しない…と、まぁ、酷いとこんな感じ。
心も体も不安定でコントロールが出来ず、現実を受け入れる事も出来ず、苦しい日々を過ごしていた。
休日ならまだ自由がきくけど、会社へ行かないといけない場合は、「行かなきゃいけない…」というストレスが痛みをさらに悪化させ(てる気がする)、不安は倍増になり、仕事に集中できず、ただ時間が過ぎて就業時間が来るのを待つ…。
それを思うと過去の私、よく頑張ったわ〜って思う。
なんでそんなにまでして頑張れたんだろう?頑張ってりつもりはなかったんだろうなー、きっと。
その状態に終わりはあるのか…永遠に続くのか…と不安に押しつぶされてボロボロだったけど。永遠ではなかった。
薬のお陰で痛みもなく、行きたいところに行けて、やりたいことが出来て、食べたいものが食べられて。幸せだと思う。
友達と美味しいもの食べて、昔の話や老いていく悩み、これからの将来のことを笑いながら話していると、大げさだけどホント生きてて良かった〜って思う。
再発したら…とか、また病気になったら…と思うこともあるけれど、今はやりたいようにやることが1番のリハビリだ!って思ってる。
ま、リハビリ期間が少し長くなってしまってるけど。笑
子宮筋腫腹腔鏡手術、その後③
石垣島での1ヶ月の生活が終わり、それから張り合いのない日々を過ごしていた。
25年間、同じ生活を繰り返していたためか、"することがない"ということがストレスに。笑
家にいることが耐えられず、どこかへ旅をしよう!と思い立ち、ネットで色々と検索していたら、良さそうなゲストハウスが見つかった。
その地域は、7月から9月初めまで踊りが開催され、町は賑わいを増すという。そのゲストハウスが、踊り期間の2カ月間、その地域で生活をしながらアルバイトできるところを紹介してくれるという。
これはなかなか面白そうだ…と思い4泊申し込んだ。
そして滞在中に働く場所、住む場所が決まり、新しい生活が始まった。
私が働くこととなったところは、販売、接客、町の案内、外国人客の対応…をしなくてはならなくて。
販売・接客ってしたことないけど出来るんかしら?町の案内って町のこと何も知らないし、逆に教えて欲しいくらいですけど!、英語全く喋れませんけど…と不安まるけ状態で。笑
でも実際働き出してみるととても楽しくて。あれこれ考えて不安になっていたあの時間はなんだったんやろ?と思える程だった。
時間の流れ、働き方、出会う人達・考え方…全てが新鮮で。今まで狭い世界で生きてきて、私の中で出来上がっていた"あたりまえ"が覆され、こんなにも自由でいいんだ、ゆるくていいんだと、ガチガチになっていたココロとカラダがほぐれる感覚があった。
その頃、久しぶりに会った地元の友達に「キラキラしてる」「顔つき変わった、表情柔らかくなった」と、変化が外にもにじみ出ていたみたい。
こうしなきゃ!とか、こうあるべき!とか、自分にはムリだ!と限定してしい、自分自身を追い込んで悩んだり、もがいたり。
でもどんだけ悩んでも、もがいても、"なるようにしかならない"んだよなー。
そりゃ、なるようになるさ〜なんて楽天的に思えないくらい、悩んでしまうこともある。けど、結果、なんとかなっている。その、"なんとかなっている"経験が多い程、悩みの深さや時間は少なくなっていくんだと思う。
実際、私は病気をしたけど、なんとかなっていて。
退職したっきり無職だけど、なんとかなっていて。
父親が亡くなってドン底だったけど、なんとかなっていて。
失恋しても、人間関係でつまづいても、買った物が次の日セールになって悔しくても、なんとかなっている。
この先、なんとかならない問題や悩みが出てくるかも知らないけど、きっと世の中なんとかなるように出来てるんだ、って思う。
子宮筋腫腹腔鏡手術、その後②
手術から4ヶ月後、5月に石垣島へ1ヶ月間、ヨガインストラクター養成講座を受けに行った。
入院、手術、退職…となかなかのビックイベントが続いたので、島で海を見ながらヨガをする、という昔からの憧れをこの時期にやっちゃおう〜!と。
飛行機に乗ること、運動(ヨガ)をすることが不安だったので、主治医に聞いてみたところ、全然OKですよ!と。
気圧の関係で飛行機乗ってる時に傷口パックリ!とか、ヨガのポーズの途中で傷口パッカ〜!とか、ならないか心配していたけれど、なんの問題もないらしく、安心して参加することができた。
石垣島では、朝は6時前に起きて、そのままアーサナ(ポーズ)の練習を2〜3時間、それから朝ごはんを食べて、授業、そして昼ごはん、また授業、そして夜ごはん、そして就寝…という生活が繰り返された。
気にしていた体の調子もすこぶる良くて、ピルのお陰で生理も来ないし、もちろん生理痛もないし、ピルとの相性も良く、副作用もなく快適な生活を送った。そして、養成講座も終わりを迎える頃には、筋肉がついたのか太ももがひとまわり太くなっていた。
体重計に乗らなくても、少し太ったのが感覚的にわかった。てか、見た目にもパーンとしてたし。笑
環境や習慣が変わると体もそれに伴って変化するだなぁ〜と。
子宮筋腫腹腔鏡手術、その後①
無事に退院が出来たものの。
手術の後に主治医から、内膜症があるからその治療をしていかなければならない、という事を聞かされ。
生理がくると内膜症は悪化していくので、その増殖を防ぐために「ヤーズフレックス」というピルの服用を勧められた。
えーー、内膜症ってーー。マジかーー。また薬か…って、思った。それから先生の話を聞き、ネットで調べ、ヤーズフレックスを服用することにした。
そして1月中旬ごろに会社復帰をし、2月ごろから有給消化に入った。
その頃には、あれだけ痛かった傷の痛みもなくなり、食欲も旺盛になり、サクサク動けて、ウォーキングしたり、友達とランチしたりして過ごした。
当時の悩みは体重が増えないこと。
身長165cmで体重44〜45kg。食べても食べても増えなくて。
"スリム"というより"ガリガリ"で。体重計に乗るのが嫌だった。
有給消化中にふと、「占いに行ってみよう!」と思い立ち、色々検索し西洋占星術を受けてみた。これがめちゃくちゃ当たってて、こんなにも当たる占いは初めてでドキドキした。
たまに、そうかな…?って思うこともあったけれど、思い当たるとこが多くてビックリした。
2010年から暗闇のドン底時期で、それが最近まで続いていて、2018年初めからようやく肩の荷がおりてきている、と。これがドンピシャ!で。
実際、2010年に父親が亡くなり、翌年に内膜症が見つかり…ドン底期へ突入。2017年に手術をし、2018年に退職…肩に何も乗っかってない期へ。笑
星の配置からすると7〜8年間も、普通の人が経験しないくらいのMAX厳しい時期だったらしい。マジかっ!
てか、この占いを7年前に受けていて、あなた残念ですがこれから暗黒の時代に突入ですね…とか言われたいたら、わたし…
生きていけんわー!笑
で、私の暗黒の時代はもう終わりで、これからは追い風ですよ、ちょいちょい嫌なこともあるだろうけど、めげないね〜、人生で3番の指に入るくらいのいい時期だよ、と。マジかっ!!
私これからどうなるんやろ〜って思ってだけど、明るい未来が待っているーー!って思ったらワクワクドキドキして。つまづいても、めげずに前に進んでいける私になるんだ!って思えた。
占いは、自分の過去を棚卸しするキッカケになり、そしてこれから前に進んでいける!大丈夫!という勇気を与えてくれた。
そして3月、25年勤めた会社を退職。
次に働くあてもなく、というより働く気がなく…笑
都合の合う友達と遊んだり、美味しいものを食べに行ったり、沖縄へひとり旅をしたり…と自由な時間を過ごした。
子宮筋腫腹腔鏡手術、翌日〜退院
翌日も痛みは治らず、でも寝返りをうって下さいね〜と看護師さんに言われ、がんばった。
お茶を飲めるようになり、次の日には重湯が出されたり、体を拭いてもらったり、トイレに行けたり…と日に日にすることが増えていった。
お茶を飲むのも一苦労、重湯も食べたくない、体を起こすのがしんどい、オシッコをする度に痛みが…とピークは過ぎたものの痛くて、痛くて。
手術後、ガスが出るのがとても大事らしく、それがなかなか出なくて。
普段は出なくていい時に、必要以上に出たりするのに、肝心な時に出ないという、、、笑
でも、その時はきた!
ガスが!
でーたぁぁーー!!
これをきっかけに体がすごく楽チンになって。もっと早く出てきておくれよー、かなり引っ込み思案のガスだったな…と。笑
笑ったり、お腹に力を入れるようなことをすると痛いのだけど、ご飯も食べられるようになり、お見舞いに来てくれた友達とも話せるようになり。
そして手術から4日目に、退院した。
これから普通の生活に戻れるんやろうか、てか会社辞めるし、なんか…色々大丈夫なんやろか、わたし?なーんて不安な思いを抱いて。笑
久々のシャバの空気…めちゃ寒かった。笑
子宮筋腫腹腔鏡手術。当日
久々の更新。
久々に開いてみたら、このブログ見ていてくださる方がいる事実を知り、こんな中途半端で話(ブログ)を終わらせちゃーあかんと思って。
久々に続きを綴っていこうかと。
手術前日で終わってしまったので、手術当日からのことを、思い出しながら書きます…。
当日朝、看護師さんが来て浣腸をしてもらったけれど…。
これがめっちゃめちゃ辛くて。
浣腸してから5分経ったらトイレに行って下さいね、と指示を受けるも…
全然ガマン出来なくて。
足踏みして、ウォーーとか叫んでたと思う。笑
男の人の、もう出ちゃう!的なのもこれくらいのレベルなんやろか?
は??なんのこっちゃ。
話を戻します…。
で、5分を待たずにトイレへ駆け込みました。
それから手術着に着替え、いよいよ手術室へ。
テレビドラマのような、ストレッチャーに乗せられみんなに「頑張って!」とか言われて手術室へ…ってのではなく。
看護師さんに案内され母親と一緒に歩いて手術室へ向かう…という、想像してたのと全然違った。
それから自力で手術台に上がり、裸になり、マスクをして、ウトウト……
大声で名前を呼ばれて、うるさいなーと思ったら病室のベットの上だった。
あ、手術終わったんだと。
成功なのか失敗なのかわかんないけど、
私生きてるって思った。
手術後はもうめちゃくちゃ痛くて、めっちゃくちゃ寒くて、わたし史上最高の辛さだった。
ガンで亡くなった父親も手術をしていて。ベットの上で痛みと戦いながらそのことを思った。
お父さんはこんなに痛かったのか?でも開腹手術だったからこれよりもっともっと痛かったの?こんな痛みによく耐えれたな、と。
手術を経験している人はこんなにも辛いことをしてきてたのか…。
痛そう、大変そう…って思ってだけどそれ以上だった。これに耐える、乗り越える、のはその人自身にしか出来ない。
できれば辛いことなんて経験したくないけれど、でも経験しなきゃわからないことばかり。
人は経験が多いほど他人に寛大に、そして優しくなれるってのがわかる。
夕方に母親が帰り、夜も痛みで寝られず痛み止めと眠り薬みたいなのを点滴に入れてもらい、寝られたのかなんなのかわからないまま朝を迎えた。